核兵器禁止条約が成立したときに、インタビューに答える映像は何度か目にし、その迫力が心に残るサーロー節子さんって、どんな方なのだろうとずっと思っていた。そのドキュメンタリー映画が上映され観に行った。彼女が13歳のとき、広島の学徒動員先で被爆、がれきの下から脱出。300人余りの級友たちは亡くなった。その時の惨状を語る節子さんは、悲しみを超える淡々とした語り方だった。私たちが知る被爆後の様子は、写真や書物でしかないが、そこで体験した人にしかわからない臨場感がその口調から胸に鋭く伝わってきた。幼かった甥が瀕死の状態で、水を求めてきたその口に節子さんが手のひらから水を飲ませ、息を引き取った小さな亡骸を土に埋めた話。原爆は、人が人として死ぬことさえ奪ったのだ。そんな市民がどれだけいたことか。節子さんは、戦後アメリカに留学、カナダ人と結婚しカナダで生活しながら、ずっと核兵器撲滅のための活動を続け止むことは無い。彼女の言葉に応えてこそ人間ではないのかと思う。核兵器はこの地球上からなくすしか選択肢は無い。核兵器禁止条約が発効し核兵器が違法化された。人間であるならば、その犠牲者への誠意として人類全てが実行しなければならない。被爆体験者は高齢となり語り部は減っていくけれど、この映画が未来に続く光になる。核共有などといっている人たちみんなに観て欲しい。(O)
0 件のコメント:
コメントを投稿