2021年3月18日木曜日

学問の自由は炭鉱のカナリア

 去る2月11日、「建国記念の日に反対し、学問の自由を守る集会」が開かれた。日本学術会議の会員の任命拒否について、未だに何の説明もされず、撤回されていないこと、そして、うやむやにされようとしていることが、いかに私たちみんなの危機であるかがよくわかった。

 戦後、日本国憲法が戦争への反省から制定され、その23条に設けられた「学問の自由」、その意味は大きい。明治憲法下、天皇制ファシズムに反対する
学説や思想は、ことごとく弾圧された。想像を絶する弾圧や介入の中で、学問研究は自由にできず国民が真理を学ぶ機会が失われた。まさに国益の損失だと思う。学問の自由は、①学問研究の自由②研究発表の自由③教授の自由という個人に保障された自由と合わせて、④科学者コミュニティの自由・自治の大切さがあることをあらためて知った。

 建国記念の日は、紀元節というB.C.660年を日本の紀元とする虚構の建国神話に基づいた日に由来する。縄文時代に神武天皇がいた?科学的根拠のない歴史に塗り固められた祝日である。もし、今日本に「学問の自由」の保障がなかったら、学校で2月11日は紀元節と教えなければならなくなる!集会の最後に、講師の先生の「学問・科学・芸術は、空気のようなものとして人間の命と暮らしに深くつながっている。その空気が薄くなったり、きな臭くなったりしてきた時に、鳴いて危険を知らせる炭鉱のカナリアのような役割を学問の自由は与えられている。カナリアを育てているのは国民である。」と言う言葉を忘れない。(o)

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