1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神淡路大震災が起きた。火曜日の朝だった。近畿での地震のニュースを聞きながら私はいつも通り出勤し、夜は定例の会議で残業。夜ニュースを見たら義母や弟たちの住む神戸が大変なことになっていた。翌日神戸へと向かったが加古川で高速道路はストップ。下道を走り、スーパーへ寄ったが水やお茶は売り切れ。もう家々はぐしゃぐしゃ、1階がなくなっているビル、あちこちで火事、垂れ下がった電線。どこをどう走ったかは分からないが夕方神戸大正筋についた。家は全壊だったが、無事だった義母たちを乗せて夜どおし走って徳島へ帰りついた。あれから30年。その後、東日本大震災、熊本地震、大阪でも、そして能登半島地震と次々と起きている。南海トラフ「巨大地震注意」の臨時情報が出されるなどいつ巨大地震が起きてもおかしくない状況だ。災害時の避難所の状況・様子は30年前と変わらない。能登半島は未だ断水が続き道路の復旧すすまない。以前のような普通の生活にはまだまだ戻れない。大阪万博よりも軍事費よりも災害復興に国はもっとお金と人を。命と生業と生活を守る対策を政治の責任でやることを求めて声をあげ、行動を!
今年の1月17日には阪神淡路大震災の起きた時刻に諏訪山公園ビーナスブリッジ(追悼のつどいが行われていた所)にのぼります。 (Y)
0 件のコメント:
コメントを投稿